食べるということ

食べるということ

私が中学生ぐらいの頃、よくお弁当のフタを立ててごはんを隠しながら食べる子がいた。

すでに飽食の時代の年代だから、ひと昔前みたいに「貧しくてお弁当のおかずがなくて恥ずかしくて」フタをたてて隠していたわけではないだろう。

どちらかといえば「食べる行為」を見られるのが恥ずかしかったのではないだろうか。

話は変わるが、私が夫とはじめてデートした後、感に堪えぬ様子で彼はこう言った。

「すごくうまそうに食べるなぁ、いいね」

夫はつきあった女性が顔をうつむけて、「そんなにたくさんは食べれないわ」みたいな慎ましやかなタイプは苦手だったそうである。お皿を前にして目をランランと輝かせ、ナイフとフォークをクロスにして気合いをいれて食べる私に「いいな」と思ったというのだ。私は食い意地が張っており、好きな人の前でも旺盛な食欲をさらけだし、時に相手をびびらせてきたのであるが。

世の中うまくできたもので、こうして一般的には長所でない部分をも愛してくれる人を天は配剤してくれたわけだ。

息子が連れてきた彼女を近所の割烹料理屋へ連れていったときにふっと思い出したのだ。

状況は違っていて、恋人の両親の手前だからおとなしく、控えめに食べていたのだろうとは思う。それでもほとんど箸をつけずというか、小鳥が餌をつつくように食べている姿はかわいらしいというより、私から見るとあまり健康的ではなく、印象はよくなかった。

夫も息子も「緊張していたのだろうよ」と好意的だが、そこは母親でありある意味将来の姑ですから(笑)視線は厳しい。

私は汚く食べる人は「育ちが悪い」と思っていて(それはべつにお金持ちとかフルコースを上手に食べろということではない)、同時にまた、おいしそうに食べれない人には魅力がないと思っている。

とはいえ、結局しばらくしてその彼女と別れたらしいということは息子の話からわかった。

どうして別れたの? とつまらない質問をつい私はしてしまったのだが、息子はしばらく考えたあと、「悪い子じゃないんだけど、一緒にメシとか食っててもあんまり楽しくなくて」と言った。

ほらみろ。

とは言わなかったが(笑)

カップルの相性のひとつに、私は「食べる」ことに対する価値観の一致があると思う。

食べることは命に直結した大事なことだけに、それに対するこだわりがあるか、あるいはないか、ということが一致していないとなかなか相性としては難しいのではないかな、と思っている。

ファスティング

つまらない映画

つまらない映画を見るととてもブルーな気持ちになります。1800円も払っておよそ2時間も拘束されたのに、結果つまらない気持ちになる。なんという不条理でしょう。

映画を作るのは自由ですし、芸術の表現方法はフリーであって当然です。しかし、お金を払って利益をとる以上、お客さんに楽しんでもらうという気持ちは必然でしょう。

切なくなる、楽しくなる、色々な感情がありますが、どの感情もぴくりとも動かないお金を払うに値しない映画が、未だにあるのです。

そういう映画は100人が見れば10人ぐらいは「まあいいではないか」と我慢できるレベル、といいましょうか。上演できるレベルには達しているというのがまた厄介なのです。

先日見た映画はまさにそれで、映画を見て寝たことは一度もないという夫ですら船をこいでいたぐらいの出来でした。もちろん私は半分くらいで寝てしまっていたわけですが。

半分見ただけで「もういいか」と思えるようなものだったのです。私もそのような作品は久しぶりにみました。

前評判といいますか、原作の良さが光るだけによりギャップが浮き出てきたのでしょう。原作者は故人ですが、お空の上でこの映画の出来をどう思っているのか、聞いてみたいです。

亡くなった後に映画化されるというのは、見ようによっては辛いものです。その映画が素晴らしいものであればいいですが、大抵原作を超えることはできないからです。

ご家族の方からすれば「なにしてくれるんだ」という感情があっても仕方ないでしょう。

ここ数年「あの大ベストセラーを映画化!」という文字をよく見ますが、オリジナル作品では歯が立たないということでしょうか。さみしいものですね。

単館上映されている映画のほうが面白い、なんてこともよくある話です。大衆受けを狙っていては、映画はどんどん衰退の道を歩いていくことでしょう。

足元ばかりを見ていては、映画の興行収入なんて増えるわけがないと思います。もっと面白い映画がみたい!客の立場からすればそれだけなのです。

予定調和では、これから先なんて見えているということです。これだけ娯楽が溢れている世の中です。みんなが待っているのは「こんなの見たことない!」という映画です。

3Dになって映像が飛び出してきても、いつかは飽きられるものではないでしょうか。結局は中身ですし、見ている観客だってそんなにバカではないのです。

映画業界の体質自体が変わらなくはいけない時期は、とっくにきているのでしょう。