人工的な魅力

人工的な魅力

昔、私の実家の食卓に必ずあって、今、わが家でまったく見当たらないもののひとつに「化学調味料」というものがある。

ストレートに名前を出してもいいのだが、○○の素、というやつだ。

こちらの会社は今ではマヨネーズからはじまってたくさんの食材を販売している大手優良会社である。

実家にはこの赤いフタのついた小瓶がいつでも食卓にあって、おひたしやらみそ汁やらにも私の父はひとふり、ふたふりかけていたものだ。

そうすると「味がよくなる」と言うのである。

また台所にもそれはあり、母が何か料理をしていると最後の仕上げとばかりに○○の素をふりかける。

うまみ成分といわれていたらしいが、一世を風靡したといってもよいだろう。

ところが、それは今、あまり見かけなくなった。たまに古い食堂とか旅館へ行くとテーブルに出ていることもあるが、どなかたの家におよばれにいってもほとんど見かけない。

なんといっても、現代は自然志向である。

調味料そのものだって、「自分で味噌をつくろう」とか「自然無農薬」みたいのがハバをきかせているわけで、化学調味料などというのは毛嫌いされている。

化学調味料を料理にふりかけるというのは、どこか「手抜き」であり、何か「偽善的」であるような印象がある。

それはその通りだし、無理に使うようなものでもないとは思うのだが、同時になぜか、あの赤いフタの小さな瓶に私は郷愁を覚えるのである。

なんにでも魔法の粉とばかりにそれをふりかけていた父は、それを贅沢という認識もあったのではないか。本当はどのぐらい味の変化を理解していたかは疑問ではある。

ただ、確かに何か味が決まらないときにはふりかけることで「奥行き」みたいのが増したような記憶もある。

人工的な味。

人工甘味料。このごろはお菓子のパッケージをひっくりがえして、人工なんたら、がついてないか確認してから買う親も多いと聞く。健康のためにはそのほうがよいのだろう。

でも、人工的な、嘘くさい味にえも言われぬ「おいしさ」を感じていたいた人もいるのではなかろうか。

化学調味料は人工的とまでは言えないだろうが、たとえば、赤いウィンナーや、やけに黄色いたくあんも、「人工的」ではある。自然ではない。

でも自然ではないまやかしモノに微妙な魅力を感じる世代は、実は今なおいるのではないかと思っている。

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お弁当箱の進化

私が子どもの頃のお弁当箱といえば、少し丸みを帯びた長方形で中に仕切りが入っている形でした。それが最もポピュラーだったと思いますし、電子レンジはダメだったはずです。

それがいつのまにか進化を遂げていたんだなあと思ったことがありました。先日、夫のお弁当箱が壊れてしまったので新しいものを買いにいったときのことです。

大きなショッピングモールの生活用品コーナーに行ったのですが、どれにしようか迷うほど数がありました。弁当男子、という言葉が流行るぐらいですもんね。

新しいものは仕事用のビジネスバッグに収まる形にしたかったので、2段重ねのスリムなお弁当箱がいいと言っていました。それだけでもかなりの数です。

ただスリムなだけでなく、蓋を凍らせることで保冷ができて夏場のお弁当の傷みをなくすというものまでありました。よく考えたものだと感心していました。

それよりも驚いたのが、ご飯を入れる部分と具材を入れる部分がしっかり分かれていて「丼物」や「麺類」が持っていけるという商品でした。

保温性能がとても優れていて、ご飯も温かいまま持っていけるということでした。コンビニで買う丼物のような感じで持っていける、ということなのですね。

麺類も持っていけるように、お出汁を入れる用のミニポットもついていました。おそばならネギやワカメなどの具材を細かくわけて入れられるようになっていました。

これはすごいねー!用意するほうは大変だけど、食べる人は楽しみだねえと夫と話していました。

電子レンジが使えるというのは、今や常識なのですね。私は一度電子レンジ不可のお弁当箱を温めて、中蓋を変形させてこっぴどく怒られたことがありました。

それ以来お弁当箱は電子レンジでは使えないものだというイメージが着いていたので、今まで温めたことがありませんでしたが、私もついでに新しく買いなおしました。

今度はレンジもOK、そのまま冷凍もOK。蓋も凍らせて使えるものを買いました。

一緒にお弁当バッグも新しく買い、少し大きめで持ちやすいものにしました。中に保冷シートが張ってあるものなので、ちょっとしたお出かけにも使えそうです。

新しいお弁当箱になり、夫も心なしかうれしそうです。スリムタイプなのにおかずがたくさん入るので、ちょっと面倒だなとは思いつつ、私も嬉しいですね。

お弁当箱の進化は目を見張るものがありました。今後の新しい商品も楽しみですね。